人を動かす「羨ましい」という感情

公開日: 2015年12月30日水曜日 こころ 書評


 こんにちは。
 
 2015年は、僕にとっては大きな変化を迎えた年でした。

 ドイツに渡り、

 インターンシップをしながらフリーランス翻訳家・ライターとしての活動を始め、

 最近始めたブログやtwitterを通じて多くの人とつながり、いろんな生き方を知るなかで、

 自分のやりたいことが少しずつ頭の中で言葉になろうとしています。

 そんな一年を振り返ってみると、

 僕を動かしてきたある感情の存在に気づきました。





 本を読んで感じた「羨ましい」



 「羨ましい」という感情を、あなたはどう捉えていますか?


 以前の記事で取り上げたのですが、

 内田樹さんが大学の講義で話した内容をまとめた本『街場の文体論』を読みました。

 読み終えて、まず思ったこと。
 
 「羨ましい」。

 この話を生で聞いた講義生たちが。

 そして何より、この本で語っているようなことを考えられる内田樹さんが切実に羨ましい。

 
 僕は、本を読んだり、誰かの話を聞いたときの「羨ましい」という感情を抱くことが多いです。

 この「羨ましい」を僕は大切にしたい。

 「人と自分を比較して羨ましく思う暇があったら、自分ができることをした方がいい」。

 そんな意見もあるかもしれません。

 もちろん、ただ羨ましいと思うだけで、そこから自分なりに何らかの変化を起こさなければ

 意味はありません。

 「いいなあ」で終わってしまう。

 でも僕は、「羨ましい」と感じたことは自分がこれから進みたい方向を示していると思います。



 

 二種類の「羨ましい」



 「羨ましい」という感情に気づいたとき、何を「羨ましい」と思ったのかを考える。

 その「羨ましい」はどんな種類のものなのか?

 僕は、2種類の「羨ましい」があると考えています。


 それほど背の高くない僕が大柄なドイツ人を見て、「いいなぁ」と思う。

 この場合は、本人にはどうすることもできない「羨ましい」です。


 でも今僕が感じている「羨ましい」は、

 内田樹さんが、僕には考えられないようなこと、

 または、ぼんやりと頭には浮かんだものの言葉にはできずにいたことを、

 読者に「届く言葉」として表していることです。

 このときの「羨ましい」は、自分の努力や考え方次第でどうにかなるかもしれません

 とにかく考える。考えたことを言葉にする。これを継続する。


 以前にも書きましたが、このブログを始めたのも

 ベルリン生活を通じての考えや自分自身を発信するwasabiさんのブログを読んだことがきっかけです。

 今思うとこのときにも、「羨ましい」という感情がありました。

 
 ドイツに来ることを決心するまでにも、、

 実際に留学した人の話を聞き、海外で生きる人たちについての情報を仕入れ、

 僕は少なからず「羨ましい」という感情を抱いていたように思います。


 

 「羨ましい」を原動力にする

 
 つまり、「羨ましい」という感情は、自分の背中を自分で押す推進力に変えることができる。

 
 他人に羨望の眼差しを向けることなく確固たる自分を持ち進んでいけるなら、

 それは素晴らしいことです。

 だけど今の自分は、まだまだ人を「羨ましい」と思ってしまう。

 だったら、それを生かしたい。

 自分の努力や考え方次第でどうにかなる種類の「羨ましい」を大切にしたい。


 「やりたいことがわからない」とか、「目標なんてない」と言う人がいます。

 正直なところ僕も、やりたいことや目標がはっきりとしているわけではありません。

 でも、日々感じる「羨ましい」を無視することなく集めていけば、

 自分の興味の方向や、目指したいところがなんとなく見えてくると思います。


 
 最後に、僕が「羨ましい」という感情について考えるきっかけになった

 河合隼雄さんの『こころの処方箋』という本の一部をご紹介します。

 
 ”人間というものは、なるべくなら難しいことや苦しいことは避けたいと願っているところがある。そして、可能性を開発してゆくとき、多くの場合に困難や苦しみはつきものだと言っていいだろう。 
 しかし、自分にとって実に多くの未開発の部分があるなかで、特に何かが「羨ましい」という感情に伴って意識されてくるのは、その部分が特に開発すべきところ、あるいは、開発を待っているところとして、うずいていることを意味している。 
 ある個人にとって、やらねばならぬことをやれることややれることは山ほどあるはずである。そのなかで「羨ましい」という感情は、どの「方向」に自分にとっての可能性が向かっているかという一種の方向指示盤としての役割をもって出現してきているのである。そして、はじめは困難や苦痛を伴なうにしろ、自分が発見したことをやり抜いてゆくと、ある程度経てば、その面白さもわかってくるし、その頃には「羨ましい」感情も弱くなってきているのがわかるだろう。  
 「羨ましい」感情が強いとき、自分のなかに何かが未だ注目されずに棄てられているはずだと思って、探してみたり、いろいろ試してみたりするのは、それほど悪くはない。”


 


 「羨ましい」と感じたときに一度立ち止まって、その「羨ましい」感情を分析してみることによって、

 自分がいま進みたい方向がわかる。

 もちろん、「羨ましい」という感情がすべてではありませんが、

 少なくとも僕はこの感情を、進む方向を決めるヒントの一つにしていこうと思います。

 
 うまくまとまりませんが、今回はここまで。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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