外国語を勉強するのは自分の世界を広げるため。
Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen.
- Johann Wolfgang von Goethe
外国語を知らない者は、自国語についても無知である。
ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(ドイツの作家)
どうも、tomoです!
誰もがご存じゲーテの引用から始めてみました。
外国語を学ぶことではじめて、自国語も理解できるようになる。
外国語を学ぶということについて考えてみました。
「何のために」「なぜ」外国語を学ぶのかをはっきりさせるか否かで、その効果にも雲泥の差が生まれます。
英語の勉強方法を紹介する記事や本はたくさんありますが、この記事ではどちらかといえば「外国語を学ぶ上での心構え」に焦点を当てます。
翻訳家を目指す方、これから外国語を勉強しようというビジネスマン、学んできた外国語で何かしたいと思っている学生、すでに外国語で仕事をされている方々、外国語に関わる多くの方に読んでいただければ幸いです。
それではどうぞ!
外国語を学ぶ「きっかけ」
外国語を学び始めるとき、そこには必ずなんらかの動機やきっかけがあるはずです。
英会話を習い、英語でコミュニケーションがとれるようになりたい。
お気に入りの映画を字幕なしで観たい。
将来、外国語を使った仕事がしたい。
なんとなく外国語ってかっこいい。
人によって、外国語を学び始めるきっかけは様々。
そのきっかけを大切にしてください。
できれば、目に見える形で残しておくといい。
外国語を学ぶ道のりは長く、途中で息切れしそうになることもあります。
そんなとき、「きっかけ」は必ず自分の力になってくれます。
僕もドイツ語を勉強する上で、なかなか上達が感じられずに嫌になる時期がありました。でも、「通訳になりたい」とドイツ語学科への進学を決めた当時の「きっかけ」を思い出すことで、完全に立ち止まることなく進んでこれました。
「初心忘るべからず。」
外国語を学ぶ目的を明確に。定期的な見直しも忘れずに。
外国語を「なぜ」「何のために」学ぶのか、という目的は常に意識すべきです。
ここで考えてほしいのは、「きっかけ」からもう一歩踏み込んだ目的を持つということ。
コミュニケーションや会話をしたくて外国語を始めた人なら、「どんな人とどのような場面でコミュニケーションを取りたいのか」。
仕事に結び付けたいと外国語を学び始めた人なら、「具体的に外国語でどのような仕事をしたいのか」。
漠然とした「きっかけ」で勉強を始めるのは悪くないと思います。ただし、勉強を続けてある程度のレベルに達したら、外国語を学ぶ目的を自分なりに明確にしましょう。
そして、その「目的」を定期的に見直すことが大切。
ドイツ語の勉強そのものが楽しくなり、その先の目的を見ていなかったために伸び悩むという時期を経た僕から伝えたいことがあります。
・目的は、自分の言葉で表現してみる。
・「外国語を学ぶこと」だけが目的にならないように気を付ける。
・目的を見直す機会を持ち、少しずつ修正・更新する。
僕がドイツ語という外国語を専攻したきっかけは「通訳になりたい」と思ったことで、初めのうちは「ドイツ語で話せるようになる」という目的がありました。
それから、一通り文法や単語を覚え、少しずつ分かることが増え始めると、「外国語を勉強すること」そのものが楽しくなり、だんだんほんとうの目的が見えなくなってしまった。しかし「外国語の上達」を目的に据えてしまうと、勉強の効果は薄れると僕は断言します。
それから、一通り文法や単語を覚え、少しずつ分かることが増え始めると、「外国語を勉強すること」そのものが楽しくなり、だんだんほんとうの目的が見えなくなってしまった。しかし「外国語の上達」を目的に据えてしまうと、勉強の効果は薄れると僕は断言します。
実際に僕も「ドイツ語をもっとできるようになる」ことを目的にしてしまっていたために、ある程度のレベルに達したとき、壁にぶつかりました。
外国語を学ぶ目的は、一人ひとりが自ら考えないといけない。
そして、目的を定期的に更新・修正することが大切。
この過程を怠ると、進む方向を見失いかねません。
僕が外国語を学ぶ目的
とはいったものの、目的を明確に、具体的にするのは簡単ではありません。
僕自身、漠然とした目的を掲げたままで長い間ドイツ語を勉強していました。
そんな僕の外国語に対する考えを変えたのは、『街場の文体論』という本の中での内田樹さんの言葉です。
「外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶこと」
「外国語というのは、自己表現のために学ぶものではないんです。自己を豊かにするために学ぶものなんです。自分を外部に押しつけるためではなく、外部を自分のうちに取り込むために学ぶものなんです。」
つまり、自由に日常会話が出来るようになることだけではなく、外国の言葉を通じてより多くのものを自分の中に吸収することも外国語を学ぶ目的だと内田さんは言っています。
自分の言葉にすると本来の意図が崩れてしまいそうなので、内田樹さんの言葉をもう少し引用します。
自分の言葉にすると本来の意図が崩れてしまいそうなので、内田樹さんの言葉をもう少し引用します。
「理解できない言葉、自分の身体のなかに対応物がないような概念や感情にさらされること、それが外国語を学ぶことの最良の意義だと僕は思います。浴びるように「異語」にさらされているうちに、あるとき母語の語彙になく、その外国語にしか存在しない語に自分の身体が同期する瞬間が訪れる。それは、ある意味で、足元が崩れるような経験です。自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。そういう生成的な経験なんです。外国語の習得というのは、その「一陣の涼風」を経験するためのものだと僕は思います。「英語ができると就職に有利」といった「手持ち」の理由で外国語を学ぶ人たちは、どれほど語彙が増えても、発音がよくなっても、自分の檻から出ることはできない。」
この考え方に、僕はすごく刺激されました。
外国語を学べば、単純に考えて、何かを知ろうとするときの情報源が増える。
自分の心を揺さぶるような言葉や考えに触れるチャンスも増える。
そう考えただけでワクワクしてきました。これからもドイツ語を学んでいこうという意欲が湧いてきました。
「外国語を学べば、日本にいて日本語で表現される言葉に囲まれているだけでは絶対に出会えることのできない世界を経験できるんだ」と胸が高鳴ったのを覚えてます。
これは、以前の僕のようにただ「話せるようになること」を目的としていたのでは、どれだけ語学を勉強しても達することのできない世界。
ここで、冒頭で引用したゲーテの名言に戻ります。
内田さんは、外国語を「自己を豊かにするために学ぶもの」と表現しました。
母国語以外の言葉を通じて自分の中に取り込むものが、その人を豊かにしてくれる。
ゲーテは、外国語を学んでこそ、誰もが当たり前のように使っている母国語も分かるようになるのだと言っています。
この二人の言葉に、外国語を学んでいる一人としてとても刺激をうけました。
語学そのものだけでなく、自分自身の考えの幅を広げていくことこそ、外国語を学んだ先の目的なのだと思うようになりました。
もちろん、ただ刺激されたというところで終わっていけない。
「自己を豊かにする」ものを求める意識を常に頭において、ドイツ語に触れていきたい。
そして、「自分だけ知っているのではもったいない」「ドイツ語を読むことができない日本の人たちにも知ってもらいたい」と思える言葉や考えに出くわしたとき、仲介役としてより多くの人に伝えられる存在でありたい。
他にも数えきれないほどの選択肢があるなかで、たまたまドイツ語という言葉を学んでいる。
この偶然を生かして、自分自身、また周りの人も豊かにする意識を常に持って翻訳者としての活動を続けていきます。
「自己を豊かにする」ものを求める意識を常に頭において、ドイツ語に触れていきたい。
そして、「自分だけ知っているのではもったいない」「ドイツ語を読むことができない日本の人たちにも知ってもらいたい」と思える言葉や考えに出くわしたとき、仲介役としてより多くの人に伝えられる存在でありたい。
他にも数えきれないほどの選択肢があるなかで、たまたまドイツ語という言葉を学んでいる。
この偶然を生かして、自分自身、また周りの人も豊かにする意識を常に持って翻訳者としての活動を続けていきます。
まとめ
「会話できるようになる」
「お気に入りの小説や映画をオリジナルの言語で楽しみたい」。
外国語を学ぶ目的は人それぞれであり、人それぞれでいいと思います。
目的がはっきりしていないと、なかなか勉強を継続できません。
大切なのは、自分なりの目的を定め、それを常に意識すること。
この記事が、外国語学習者のよい刺激になってくれると嬉しいです。
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