個人がメディアになる時代には、精一杯に生きる姿勢そのものがコンテンツの力になる。

公開日: 2016年3月16日水曜日 メディア 生き方 働き方


どうも、tomoです!

ソーシャルメディアなどを通じて、誰もが情報や考えを発信しやすい時代。

大企業やマスメディアでなくても、個人がメディアとしての力を発揮できるようになり、「個人メディア」なんて言葉を耳にする機会も多くなりました。

そもそも、「個人がメディアになる」とはどういうことなのか?

最近読んだ、「ぼくらのメディアはどこにある」のインタビュー記事の中で松浦弥太郎さんが語る内容がとても面白かったので、これをヒントに今回は「個人がメディアになる時代における働き方・生き方」について考えてみたいと思います。




「個人メディア」として発信するのは、世の中とつながるため


”僕は「メディア」を思い浮かべると、すごく自然に「個人」という言葉が出てきます。  
ソーシャルメディアが普及して、いまはある種的を射た言葉なのかもしれないけれど、僕には昔から無意識的に「自分自身がメディアだ」という感覚が備わっていたように思います。 
僕はもともとフリーランスというか、会社に属さないで仕事をしてきた経験があるのですが、自分自身がメディア化していかないと存在理由が示せなかった。いま思えば、ですけれど。 
自分が世の中とコミュニケーションをとったり、仕事を通じて世の中とかみあったりしていくために自分がメディアになろうとしていたんですね。 
そのモチベーションのようなものは、自分のなかの最新を常に発信していかないと、「自分自身が忘れられちゃう」という危機感です。とにかく必死でした。”


自分自身がメディアとして、自分のなかにあるものを発信していくことで、世の中とコミュニケーションをとる。つまり、個人がメディアになる最大の目的は、世の中とつながることだと松浦さんは言ってます。

会社に属さず、フリーランスとして働くには、自分がメディアとなり、自分の存在を知ってもらう必要がある。


松浦さんの言っていること、僕にはすごくわかります。

以前の記事でも書きましたが、「翻訳やライティングの仕事をしたい」と自分のなかで思ってはいても、それだけだと誰にも気づいてもらえませんでした。「こんなことをしています」「こんな仕事がしたいんです」と自ら叫んだことで、まずは存在を知ってもらい、ゆくゆくは仕事にもつながった、そんな経験が僕にもあるんです。

松浦さんと少し違う点が1つ。僕の場合、このブログを含めて、自分がメディアにならないといけないと感じたのは、「忘れられちゃう」というより、「気づいてほしい」という想いがあったから

何をするにしても、まず自分の存在に気づいてもらい、そして忘れられないためには、自分自身がメディアになり発信していくことで、世の中とつながらないといけない。

逆にいえば、何かしたいことがあるなら、個人メディアとして発信することで世の中に気づいてもらいやすい時代になっているんだと思います。



「好き」を発信していく


”自分自身がメディアになるということは結局、そのときどきの自分の「好き」というサークルをいくつもかたちにして発信することだと思っています。 
抽象的なんですが、それは、心の奥からこみあげてくる感じ。”

似たようなことは何度か書いてきましたが、自分の「好き」をとことん極めた専門家がこれからは生き残っていくんじゃないかと僕は思っています。

<参考>
「専門家になる」とはどういうことか考えてみた


でも、ただ極めるだけだと世の中はなかなか気づいてくれなくて、それを何らかのかたちにして発信していくことが大切。「こんなものが好きなんだ」と言い続けていれば、そこに共感した人たちが少しずつ集まってきて、サークルが大きくなっていくんだと松浦さんは言います。

個人がメディアになる時代だとはいえ、世界は結局1人では成り立たない。同じ「好き」を持った人どうしが集まるところで面白いものが生まれるんだと思います。


僕もこのブログを始めて、「好き」を発信することの大切さを感じています。

考えていることがなかなか言葉にならなくても、少しずつかたちにして発信する。それを見て共感してくれたり、応援してくれたり、ときには「それは違うんじゃないか」と指摘してくれたりする人がいる。

そうやって、自分の周りの世界と同時に、自分のなかの世界も広がっていく

これが、「個人メディア」のメリットの1つだと思っています。


「個人メディア」になると、仕事もプライベートもなくなる


自分自身がメディアになるとき、自分にはプライベートもないですよ。どこからどこまでが仕事で、、どこからどこまではプライベートという線が引けなくなります。だからとどいた人の喜びも悲しみも全部受け入れると同時に、何が起きようとその覚悟も持たなくちゃいけない。 (中略) 受け取る人にはもちろん好き嫌いはあると思うけれど、その覚悟は信用につながります。メディアはやっぱり信用されないとダメ。信用されたいがために、覚悟や自分に対する疑いの目を持つんです。”

自分自身がメディアになるということは、仕事とプライベートの境界がなくなるということ。

自分の心のなかみを本音で発信していれば、受け入れられることもあれば、その逆もありうる。でも、受け入れられないのも覚悟で、自分というメディアを通して発信していかないと信用は得られないんだと、松浦さんの言葉を読んで思いました。

以前、
「ワークライフブレンド」の話でも触れましたが、仕事もプライベートも人生の一部、というのが僕の考えです。

<参考>
仕事もプライベートも人生のうち。 ~「ワーク・ライフ・バランス」から「ワーク・ライフ・ブレンド」へ~

この考えを体現し続けるためにも、自分というメディアを通じ、できるだけ本音で発信していきたいと思います。



生き方そのものがコンテンツの力


そして、最後に引用するのがこの言葉。
精一杯である自分の姿勢であり生き方をコンテンツの力にしているんです。それは、ありのままの人間、でもあるんですね。”
ぐっときました。

自分自身をメディア化し、さまざまなかたちで発信するとき、その人が真剣に生きる姿そのものが、「個人メディア」のコンテンツの力になる

僕が、「個人メディア」という考え方に惹かれるのはまさにここです。

本当に心に響くコンテンツは、つくっている人自身が精一杯生きている証拠。


自分という存在に気づいてもらい世の中とつながるために、「好き」を発信していく「個人メディア」。

そこでいいコンテンツをつくろうと思えば、まずは自分が精一杯生きないといけない。

誰もが簡単にメディアになれるからこそ、誰にでも発信できるようなありきたりなものじゃなく、「自分にしか出せないコンテンツは何か」を考えるべき時代になっているんじゃないでしょうか。

そして、「自分にしか出せないコンテンツ」の質を最終的に決めるのは、その人の生き方なんだと思います。




個人として、だけではなく、「メディア」について語る松浦弥太郎さんの言葉からは、人によってさまざまなヒントを得られると思います。元のインタビュー記事もぜひ読んでみてください!

>世の中に必要とされたいあなたへ――松浦弥太郎が考える「愛される人間」のきほん
>24時間「人間味」を感じられる場を発明したい――松浦弥太郎「スマホ時代のメディア」のきほん

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